一人でも“組織”にする ― 役割を九つに割った理由
一人に全部任せていた頃
最初期は、ひとつのAIエージェントにほとんどの作業をまとめて任せていた。調べる、書く、整える、公開していいか判断する。全部同じ窓口に渡す。やり取りは単純だし、速い。楽でよかった。
しばらく動かして気づいたのが、書く担当と確かめる担当が同じだと、確認があまり意味を持たないということ。書いたものを自分で見直すと、自分の書き方の癖にはなかなか気づけない。おかしな言い回しでも、書いた本人の目線だと、なぜか自然に読めてしまう。実行する係と確かめる係が同じ場所にいると、確認という行為自体が形だけになる。
実際、AIの係が報告してくる数字が、聞くたびに違うことがあった。同じものを数えているはずなのに、報告される数がそのつど揺れる。最初のうちは聞き流していたけど、さすがに気になって、毎回元のデータに自分で当たって数え直すようになった。報告をそのまま信じて先に進むと、間違った数字のまま話が転がっていく。書く係の報告を、書く係自身にチェックさせても、たぶん同じズレをもう一度素通りさせるだけだった。
このあたりで、実行・監査・承認を別々の係に分ける、という考え方を持ち込んだ。実行する係、出来上がったものを確かめる係、最後にGOを出す係。この三つを別のところに置く発想を、ここでは三権分立と呼んでいる。国の仕組みで習った、あの言葉をそのまま借りている。
実行の中身も、ひとつではなかった
三権分立の形で三つに分けたところまではよかった。ただ、分けてみて次に気づいたのが、「実行」とひとくくりにしていた作業が、実は性質の違う仕事の寄せ集めだったということ。
何を調べるか決める判断と、それを文章にする作業は、同じ実行でも求められるものが違う。書く作業と、書いた言葉づかいを整える作業も、見ているところが違う。方針を決める働きと、日々の細かい段取りを回す働きも別物だし、技術的な組み方を考える働きもまた別の基準がいる。
ひとつの係がこれ全部を背負うと、結局さっきと同じ問題に戻ってくる。自分で決めた方針を、自分で疑うのは難しい。書く人が確かめても意味が薄いのと、根っこは同じだった。実行の内側にも、もう一段割る必要があった。
正直、ここまで細かく分ける必要があるとは最初思ってなかった。実行・監査・承認の三つで十分だろう、くらいの見立てだった。でも動かしてみると、実行の中でどんどん綻びが出てくる。方針を決めた張本人がそのまま調べて、そのまま書いて、そのまま言葉を整えている限り、確認のはずの工程がただの通過儀礼になる。
枝ごとに割っていった結果
この分け方は、自分で一から思いついたわけじゃない。あるとき、AIエージェントの組み方を解説しているある動画をたまたま見て、役割を分けて動かすとうまくいく、という話を知った。それを自分のところにも見よう見まねで持ち込んでみた、というのが実際の経緯に近い。
実行の枝には、方針を決める係、日々の進行を回す係、技術面を設計する係、調べる係、書く係、言葉づかいを整える係、依頼を仕分けて渡す係。監査の枝には、書いた本人とは別のところから確かめる係を置いた。承認の枝は、最終的にゴーサインを出す働きとして別に据えている。
数えたら係が九つになっていた。最初から九という数を狙っていたわけじゃない。動かすうちに、今の形に落ち着いた、というのが正確なところ。
配った当初は、九つのうちいくつかはほとんど出番がなかった。任せる仕事がまだそこまで複雑じゃなかったので、係だけあって実際には動いていない期間がしばらく続いた。仕事が増えるにつれて、少しずつ全部の係が動き出した、という順番だった。
割った直後は、正直やり取りが増えて面倒だった。ひとつの窓口で済んでいた頃に比べると、確認の往復が単純に増える。速さだけで言えば、明らかに前のほうが楽だった。
一人でも組織になる
それでも今も続けているのは、役割が分かれていることで、「決めた本人がそのまま確かめて、そのままGOを出す」という一直線の流れができなくなるから。どこかで必ず、別の係の目を通ることになる。往復が増えた分だけ、事故が減った、という感触のほうが強い。
九つの係のうち、調べる・書く・言葉づかいを整える・確かめるといったところまではAIに任せているが、最後のGOだけは自分の手元に残している。承認の係だけは、AIに渡さず、人間である自分がやる。ここまで渡してしまうと、結局は決めた本人がそのまま通す形に逆戻りしてしまうから。
人間が一人で会社を興したとき、経理と営業と現場を同じ人が兼ねながらも、帳簿と承認のはんこだけは別に扱う、というのに近い感覚だと思う。一人しかいなくても、はんこを押す場面だけは別人格として扱う。それに近い感覚で、承認だけは自分の手元に残すようにしている。
人数の問題ではなくて、役割の分け方のほうが組織を組織にしている部分がある気がしている。動かしているのが自分一人でも、係が九つに分かれていても、そこは同じ。