黙ってれば通る、を承認にした
朝の時間帯に、前の晩に書き上がった原稿を読み返したことがある。言い回しのどこかが引っかかって、その回は差し止めることにした。やったことは実はそう多くない。台帳のその回に「止める」という印をひとつ残しただけだ。特別な手続きも理由書もいらない。その一手間さえ済ませておけば、それで済む。締切の時刻を過ぎても、その回は動かなかった。
押すためのボタンが、そもそも無い
この流れを初めて見たときは、少し戸惑った。公開の前には「これで進めていいか」を確認するボタンがどこかにあるはずだと思い込んでいたからだ。探しても見当たらない。この仕組みには、そもそも押すためのボタンが用意されてない。
代わりに置かれてるのが、パッシブ承認という考え方だった。こちらから OK を出さなくても、止めなければそのまま進んでいく。原稿が台帳に登録された瞬間から、締切の時刻までのあいだ、原稿はいつでも読み返せる状態のまま残ってる。締切までの猶予は、確認のための待ち時間であると同時に、差し止めのための持ち時間でもある。待ち時間なら、何もしなくてもただ過ぎていくだけで構わない。持ち時間は、使わなければそのまま失効する。読み返す、気になった箇所を確かめる、止めるかどうかを決める、というこっちの動きを差し込むための時間として置かれてる。
何もしなければ、そのまま進む
差し止めた回のように、内容に引っかかりを感じれば、その時間の中で止める記録を残せばいい。逆に、読み返して特に引っかからなければ、そのまま何もしない。何もしないという行為自体が、そのまま「進めてよい」という結果につながっていく。ここには少し不思議な感覚がついてくる。ふだん「承認する」という言葉には、はんこを押す、署名する、返信するといった何らかの動作がつきまとうものだと思っていた。ところがこの窓の中では、承認という結果を生むのに動作はいらない。動かなかったこと自体が、そのまま承認として扱われる。
最初のうちは、何もしていないのに物事が進んでいくことに、少し落ち着かない感覚があった。読み返して、大丈夫そうだと思っても、指を動かしていない分、本当に確認したことになるのか、という妙な不安がついて回った。慣れてくると、この不安自体が、ボタンを押す文化に慣れてただけの反応だったんだとわかってきた。
会社の回覧板に近いかもしれない。誰かが判子を止めない限り、書類はそのまま次の部署に回っていく。止めたい人だけが、途中で判子を止める。この組織の承認も、それと同じ向きで動いてる。
既定は「進む」側にある
もうひとつ押さえておきたいのは、何もしなかったときに自動的に選ばれる動きが「止まる」側じゃなく「進む」側に設定されてるという点だ。能動的にGOを出す仕組みじゃなくて、黙っていれば自動的にGOになる仕組みになってる。わざわざ止める理由を書き残さない限り、時間が来れば動く。この基本の向きを変えない限り、黙っていることは何もしていないことにはならない。
この窓を通っていいかどうかの線引きは、あとから直せるかどうかという基準と、根っこでつながってる。取り返しがつく作業だけが、この「黙ってれば進む」対象になってる。
窓が閉じるまでは、いつでも差し止められる。窓が閉じたあとは、何もしなければ進む。この二つがセットになって、はじめてひとつの仕組みとして動いてる。実際に止めることになる回は、多くはない。それでも、あの朝のようにこの持ち時間がなければ、迷った原稿もそのまま何も引っかからずに出ていってたはずだ。