“AIっぽさ”を削る番人:Brand Voice Editor

2026-07-20

Copywriterから上がってきた下書きを読んでいて、内容にはどこも問題がないのに、なぜか読み進める気が起きない、ということがありました。事実は正確で、構成も整っている。それでも、どこか他人行儀に見えます。段落を追いかけていくと、末尾に「ぜひお試しください」という一文が置かれていました。それを消しただけで、文章は人が書いたものの手触りに戻りました。

Brand Voice Editorは、こういう一文を見つけて削るために置かれている役です。

整いすぎた文章は、なぜ読まれないのか

AIが書いた文章には、独特の整い方があります。どの段落も同じ長さで、どの主張にも同じ強さの根拠がつき、最後に必ずきれいなまとめが来る。一つひとつは正しいのに、全体としては生活感のない模型のように見えます。

もう一つの癖が、断定のしすぎです。「これが最適な方法です」「必ず効果があります」といった言い方が、書き手の実感を追い越して出てきてしまう。実際には試した回数も限られていて、うまくいかなかった場面もあるはずなのに、文章の上だけが自信満々になる。

この連載の土台には、DA-04という判断基準(何を大事にするかを決めた指針の一つ)があります。ひとことでいえば「自然体でいく」という決めごとです。かっこよく見せるより、実際にやったことをそのまま出す。この基準を文章の側で守る担当が、Brand Voice Editorということになります。

「いかがでしょうか」を消す理由

代表的な削り対象は、記事の締めに置かれがちな「いかがでしょうか」という一文です。一見、丁寧で無害な言い回しに見えます。ですが、この一文には話し手の視点が入っていません。書いた本人が実際にどう思ったのかが書かれないまま、読者への問いかけだけで終わってしまう。

ある原稿で、この一文を「実際に動かしてみると、思ったより手間がかかった」に置き換えたことがあります。文字数はほぼ同じでも、読んだ印象は違いました。前者は誰にでも書ける定型句で、後者は書いた人にしか書けない一文です。AIっぽさというのは、多くの場合、この「誰にでも書ける部分」の比率の高さとして現れます。削るべきかどうか迷ったときは、その一文を書いたのが特定の一人でなくても成立するかどうかを見ています。成立してしまう一文は、たいてい削っても意味が減りません。

何を残すと、人が書いたものに見えるのか

削る作業を重ねているうちに気づいたことがあります。AIっぽさを消すのは、定型句を取り除く作業ではなく、「その場にしかない情報」を残す作業でもあります。

具体的には、数字や固有の出来事に近いものです。「何度か試した」ではなく「三回試した」。「うまくいかなかった」ではなく「途中で処理が止まった」。抽象的な言い方を、そのときに実際に起きたことの粒度まで戻す。粒度が細かくなるほど、その文章は他の誰の文章とも入れ替えがきかなくなります。入れ替えがきかない一文が増えると、読む側は「これは実際にやった人が書いている」と感じるようです。

逆に言えば、抽象度の高い言い回し――「効果的です」「重要です」「有効です」のような評価だけを述べる語――が並ぶほど、文章はどのテーマにも当てはまる汎用品に近づきます。

削りすぎると起きること

引き算にはさじ加減が要ります。定型句を削ることに集中しすぎると、今度は言い切りを避けすぎて、文章全体がぼやけてしまうことがあります。「今のところ」「この時点では」という余白の表現は、断定を避けるのに使えますが、使いすぎると何も言っていない文章になります。

削る基準は、あくまで「その一文が消えて意味が減るかどうか」です。意味が減らない定型句は削り、意味が減る箇所は多少強めの言い方でも残す。

最後に通す一枚

Brand Voice Editorは、原稿を書きません。方針も決めません。書く役と整える役を分けているのと同じ理屈で、削る判断だけを切り出して持たせています。書いた本人は自分の文章の癖に気づきにくい。これはAIでも人でも変わらないところだと思います。

整いすぎた文章を、少しだけ崩す。断定を、実際にやったことの高さまで下げる。地味な工程ですが、通した原稿と通していない原稿とでは、読み終わったあとの手触りが違います。記録として残しておきます。

タイキ(Taiki)

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