役職の名前じゃ、何も実行されなかった
前の回で、内側に置いていた批判の役をやめた話を書いた。ここまで、九つの役をひとつずつ紹介してきた。九つ並べ終えて振り返ると、この一連の話で実際に書いていたのは「賢い担当を九人揃えた話」じゃなかった気がしている。書いていたのは、分業という考え方を、実際に動く形に落とし込んだ記録だった。
名乗らせただけでは、何も起きない
そのことに気づいたのは、九つの役をどう組むかを決める段階だった。この組織で動いてる担当のほとんどは、呼び出すたびに記憶がリセットされる。前の回に何を話したかを覚えていない。だから毎回、同じ前提を渡し直す必要がある。最初はただの手間だと思っていたけど、これはある種の発見でもあった。「あなたは品質を確認する係です」と一度名乗らせても、確認という働きはそれだけでは起きない。何を確認して、何を確認しないかを、毎回きちんと渡して初めて起きる。役職の名前は、実行を保証してくれない。
名乗らせただけの担当に確認を頼むと、たいてい当たり障りのない同意が返ってくる。怠けてるんじゃなくて、確認する基準そのものを渡されてないからだ。基準を渡さなければ、確認という行為は形だけ残って中身が抜け落ちる。しかもこの距離は一度埋めれば済むものじゃなくて、起動のたびに同じだけ開き直す。だから埋め方そのものを、仕組みにする必要があった。
「一度言った」は、次には残らない
同じことは、方針を守らせようとする場面でも起きた。「撤退や縮退の提案はしないでください」と一度頼んでも、次の回には効いてない。効くようになったのは、その一文を毎回の起動時に渡す文章として、テンプレートに固定してからだった。入り口で毎回同じ制約を渡す仕組みと、出口で「一旦やめよう」という結論が出てきたときにそれを書き換える仕組み。この二つを両端に置いて、ようやく方針は実行される状態になった。一度の言葉じゃ足りなくて、毎回繰り返す仕組みだけが実行されるという、地味だけど動かしがたい事実だった。
否定役をどこに置くかという判断も、同じ線の上にあった。組織の中に批判専門の担当を置けば、内側だけで完結するように見える。けど内側に置いた否定役は、同じ前提と同じ材料を共有してるぶん、その前提そのものに空いた穴は見つけられない。しかも毎回否定を返すようになれば、その否定はもう判断じゃなくなる。だから批判の働きは内側に住まわせず、外側の監査に預けることにした。これも役職名の問題ではなく、どこに置けば実際にその働きが保たれるか、という配置の問題だった。
実行されるのは、仕組みだけ
ルールは実行されない。実行されるのは、仕組みだけだ。九つに役を割ったのも、毎回同じ前提を渡すのも、方針をテンプレートで注入するのも、否定の働きを外側に預けたのも、根っこは一つの発見に集約される。言葉で頼んだことは、次の瞬間には忘れられる。工程を物理的に分けて、前の工程の出力を次の工程に渡す形にして初めて、頼んだことがようやく実行され続ける。
なぜこんな地味なやり方だけが効くのか。理由は、担当そのものには何も残らないところにある。ある担当に言葉で頼んだことは、その担当の中には残らない。残るのは、頼んだ内容を書き出した先の、次の担当が読み込む文書や引き継ぎの形だけだ。だから記憶じゃなく記録に頼み事を乗せて、次の工程の入力として渡す。担当の中に置いたものは起動が終われば消えるけど、工程の間に置いたものは消えない。仕組みが効くのは、担当を信じているからではなく、担当の外に頼み事を置いているからだった。
実行・監査・承認を別の場所に置くという大枠は、ここまで何度も書いてきた。今回の九つの役は、その考え方が具体的にどう配置されたかの実装記録だったんだと思う。実行の枝は九つに分かれ、それぞれが方針を決める、段取りを回す、調べる、書く、言葉づかいを整える、依頼を仕分けるといった働きを担った。監査は、実行の枝の内側に置いた確認の働きと、枝の外側に置いた監査の、二重の層になった。承認だけは、ここまでずっと人の手に残ったままだ。
承認をどう守るかは、まだ手つかずの問いとして残ってる。