なぜ「実運用ログを公開する」のか

2026-05-26

なぜ「実運用ログを公開する」のか

隠すものだと思っていた

最初は、実装の中身は隠すものだと思っていた。試行錯誤の過程、失敗、判断ミス。こういうものを外に出すメリットを、正直あまり感じていなかった。

「ちゃんと動いてから見せればいい」「途中でつまずいてるところを見せても、誰の得にもならない」。そう思い込んでいた。

特に失敗した部分を公開するのは、ちょっと考えられなかった。失敗イコール恥ずかしい、と無意識に決めつけていたんだと思う。完成した部分だけをきれいに並べて見せる。それが記録というものの普通の形だと思っていた。

会社の仕事でも似たようなことがある。途中の下手な資料は見せず、仕上がった提案書だけを出す。誰でもやることで、それ自体は自然な感覚だと思う。経費精算だって、走り書きの数字のままでは出さない。一度見直してから提出する。見せる前提があるから、出す前に自分でチェックが入る。実装の記録も、本来は同じ扱いでよかったはずなのに、なぜか完成品だけを見せるものだと思い込んでいた。

公開してみたら、思考の整理になった

きっかけは、特に理由もなく「とりあえず出してみるか」と決めたこと。誰かに勧められたわけでも、明確な狙いがあったわけでもない。強いて言えば、隠す作業のほうが逆に面倒に感じてきた、という消極的な理由だった。

実装の記録を書いて、失敗した経緯も残したまま外に出す。やってみると、思ってもいなかったことが起きた。書く手間は増えたのに、判断そのものは早くなった。

理由は単純で、書きながら考えを整理することになるから。「なぜこの選択をしたのか」を文章にしようとすると、頭の中の曖昧だった部分が浮き出てくる。「これ、根拠が薄いまま決めてたな」と気づくこともあれば、「前にも同じところでつまずいてたな」と思い出すこともある。

具体的には、先にやり方を決めてしまって、あとから理由を書き足していたパターンによく気づいた。実際にはやってみて都合が良かったからそうしただけなのに、書く段階になって「こういう考えで」ともっともらしい理由を後付けしていた自分に気づく。文章にする作業が、決めた順番と説明する順番のズレを浮き彫りにしてくれる、という感じだった。似たようなことは、複数のやり方を比べて選んだつもりで書こうとした時にも起きた。実際には最初に思いついたやり方をそのまま採用しただけなのに、比較検討したような書き方をしかけて、途中で「いや、比べてなんかいない」と自分で止まったこともある。

外に出す前提で書くと、この効果はさらに強くなる。誰かに説明するつもりで書くと、筋を通そうとする力が自然に働く。結果として、それがそのまま自分の思考整理になっていた。

「見られるかもしれない」状態そのものが効く

もう一つ気づいたのは、実際に誰かが見ているかどうかとは別に、「見られるかもしれない」という状態そのものに効果があるということ。

これはコメントをもらうとか、反応が集まるとか、そういう話ではない。見せる前提にしておくこと自体が、品質を保つ仕組みとして働く、という話。

適当に決めたことをそのまま書こうとすると、書いている途中で「これ、人に読まれて大丈夫か」と一瞬手が止まる。止まると、もう一度考え直す。考え直した結果、判断そのものが変わることもあれば、説明を足すだけで済むこともある。要するに、見せる前提を持つだけで、無意識のうちに雑さが減る。

実際に手が止まった場面を挙げると、ある判定の基準を「だいたいこれくらいでいいか」で決めて、そのまま書こうとしたことがあった。基準の根拠を一文添えようとした瞬間、なぜその線引きにしたのか自分で説明できないことに気づいて、結局もう一度中身を見直すことになった。見せるつもりがなければ、その基準のままスルーしていたと思う。

これは自分がAIに何かを任せる時にも似た形で出てくる。以前は指示を出したらそれで終わりにしていたので、途中で何を基準に進めたかは特に残らないことが多かった。今は指示を出す時点で、あとで別の人間か別のAIが見返す前提を置くようにしている。そうしてから、自分の指示の書き方が変わったのが分かる。条件や判断基準を先に文章として書き出してから渡すようになったし、「だいたいこんな感じで」で済ませていたところを、具体的な線引きまで書くようになった。結果として、出てきたものが的外れで一からやり直す、という回数も減った気がする。人相手でも似た感触があるので、見られる前提を作ること自体に、それなりの効き目があるのだと思う。

だから途中経過も残す

そんなわけで、このログではうまくいった話だけでなく、途中でつまずいた話もそのまま残すことにしている。

理由は主に二つ。書いて外に出すこと自体が自分の判断整理になること。そして、見られるかもしれない状態にしておくこと自体が、無意識の品質チェックとして働くこと。この二つが、隠すより公開するほうを選んだ一番の理由になっている。

もう一つ、副次的な理由もある。うまくいった話より、詰まった話のほうが誰かの役に立つ場面が多いだろうという見込み。うまくいった結果だけを見せられても、そこに至るまでの詰まりどころは見えてこない。

とはいえ、これはあくまでおまけの理由で、書いている本人にとって一番効いているのは、書くこと自体が思考を整理してくれることと、見られる前提が雑さを減らしてくれること、この二つのほうだと思っている。

この先もきっと同じようにつまずく。その時の判断ミスや、やり直した経緯も、淡々と記録として残していくつもりでいる。

タイキ(Taiki)

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