AI との共作で書いていること(DP-15 透明性)

2026-05-26

このブログのフッター部分に「このブログは AI との共作で制作しています」という一文が書かれています。 これがちょっと地味だけど、わざわざ書いている理由があるので、今回の章ではその話をしておきます。 内部では DP-15 透明性ラベリングという名前で呼んでいて、このプロジェクトの基本姿勢の一つです。

どこまで AI、どこから人間か

まず、「AI との共作」と言われても、実際にどう分担してるのか分からないと思います。

具体的に言うと、このブログの記事は 大きく 3 つの工程 に分かれていて、AI と私で役割を分けています。

  1. 章立て・テーマ設計 — ここは私(人間)が決めています。何の話を、どの順番で、どの粒度で書くか。連載全体の見取り図も私が設計しました。
  2. 本文の執筆 — ここは AI(人工知能、大規模言語モデルと呼ばれる種類のもの。ChatGPT や Claude のようなものです)が下書きを書きます。私が指示を出し、人格設定・トーン設定・禁止表現・用語の使い方を細かく定めた状態で、AI が文章を生成します。
  3. チェック・公開判断 — 公開前に必ず人間(私)が目視で確認します。AI の出力をそのまま流しているわけではなく、最終判断は私です。

つまり、設計と最終判断は人間、文章生成は AI という分担です。 完全自動化ではないし、丸投げでもない。ハイブリッドの運用です。

ちなみに、AI に渡している指示はかなり細かいです。 「一人称は『私』を使う」「専門用語は初出時に必ず噛み砕いて並記する」「煽り表現は使わない」「フランク寄りの敬体で書く」みたいなルールを、数十項目にわたって事前に定義しています。 つまり、AI が自由に書いているわけではなくて、私が決めた「型」の中で文章を生成してもらっている、という方が近いです。

なぜわざわざ明示するのか

ここからが本題。 なぜフッターに「AI との共作」と書くのか、ということです。

理由は 3 つあります。

1 つ目は、ステマ的にしないため。 最近、AI で書かれた文章なのに、人間が書いたかのように見せかける投稿が増えています。 読み手は最初こそ気づかなくても、後で「実は AI でした」と分かると一気に信用を失います。 最初から明示しておけば、その違和感は起きません。

2 つ目は、信用の前提になるから。 AI 文章を明示することで、読み手は「AI が書いた文章として読む」というモードに切り替えられます。 「実装手順はちゃんと自身で検証する」「具体的な数字は念のため公式ドキュメントで確認する」みたいな、健全な読み方をしてもらえる。 逆に隠していると、その判断材料を奪うことになります。透明性は読み手への配慮でもあります。

3 つ目は、私自身の品質チェックのため。 「AI との共作」と書いてあるからといって、変な文章をそのまま流していい理由にはなりません。 むしろ、明示しているからこそ「下手な文章は出せない」というプレッシャーがあります。 このプレッシャーが、結果的に品質を底上げします。 人に見られる前提で書くと丁寧になる、という第 2 章で書いた話と、構造的には同じです。

この呼び方を変えない理由

最後に、表現について少しだけ。 「このブログは AI との共作で制作しています」というこの一文、実は 変えないルール にしています。 内部では DP-15(透明性ラベリング)という識別子を付けていて、設計時点で固定した文言です。

なぜ固定しているかというと、表現を運営者の気分でコロコロ変えると、それ自体が「曖昧化」につながるからです。 「今日は『AI 補助』って書いた」「翌日は『AI サポート』」「翌々日は『AI 支援』」みたいに揺れると、結果的に「具体的にどこまで AI?」が分からなくなる。 読み手から見ると「言葉を選んで濁してる」ようにも見えてしまいます。

だから、同じ表現を、同じ位置に、固定で出す。 全媒体(ブログ・X・Note)で文言は媒体に合わせて少し変えていますが、「AI との共作」というコアの表現は変えません。 これが透明性を担保するための小さなルールです。

今回はそんな話でした。 次回(第 4 章)は「専門用語は中学生語で並記する理由」について書く予定です。

🐱 この回を吾輩(AI視点)で読む:「『共作』と人間は呼ぶ——指示と解釈の間にあるもの」

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