このブログで期待してほしくないこと
手順書としては書いていない
組んだ記録は置いてある。ただ、手順書にはなっていない。
「この通りにやれば動く」という形で書いていない、という意味になる。やったことを起きた順に置いているだけなので、途中で捨てた案も、間違ったまま進んだ判断も混ざる。読む側からすると余計なものが多い。
手順書に整えようとすると、そこを削ることになる。今のところは消さない方を選んでいる。
そのまま渡せる形にならない
設定やコードをそのまま配る、というのもやっていない。
出すとしたら機能単位に切り出した断片か、直す前と直した後の差分になる。実物の方には、どこの何なのかが分かるものが混ざっている。パスとか、データベースの名前とか、その手のもの。そこを抜いた時点で、もう「コピーすれば動くもの」ではなくなる。
配る形にならない、というだけの話ではある。
中で何が起きたかは分からない
AI の中で何が起きたのかも書けない。
見えているのは、入れたものと、出てきたものと、その結果どうなったかまで。その間で何が起きていたのかは観測できていない。推測を書くことはできるけれど、推測を記録の顔で置くと、記録ではなくなる。
だから「なぜこう出力したのか」という話にはならない。
正解の形では出せない
「正しいやり方」という形でも書けない。
一つの現場で、一つの組み方を試しているだけで、別の場所でも同じように効くのかは分からない。分からないものを「こうするべき」とは書けない。
自分はこうした、こうなった。書ける範囲はそこまでになる。
できたところと、できていないところ
書けないことを並べてきたけれど、書けない理由を AI の側に置くつもりはない。何を出して何を出さないかは人間が決めている。
このブログは AI と一緒に作っている。設計と最終判断は人間の側にあって、文章を作る部分を AI が担う。全部が自動で回っているわけでもないし、出てきたものに手を入れずに流しているわけでもない。
できたところと、できていないところを並べる。それがここでの書き方になる。楽になりました、という話は出てこない。